海と共に育った幼少期。
宿毛市の海近くで生まれ育ちました。父の生まれが宿毛湾の離島「沖の島」なので、毎年の夏休みには「沖の島」で朝から晩まで泳いでいたのを今でも覚えています。貝を取ったり、魚を突いたり、本当に疲れ知らずでした(笑)
物心ついた時から海と触れ合っていたので、海は暮らしの中で一番身近な存在。父がブリの養殖業を営んでいたので、父と一緒に船に乗って仕事も手伝っていました。
将来は父の仕事を継ぎたい。海に関わる仕事がしたいと家族には話していたそうです。高校卒業後は、大学進学を機に大阪へ行きました。
起業して芽生えた「覚悟」。
大学卒業後は帰省し、父の経営する「荒木水産株式会社」に入社。数年働いた後、新たに加工事業を立ち上げるため分社化し、「株式会社勇進」を設立しました。
当時、24歳。これまでの人生で1番の転機でした。これまでは父に甘えていた部分もあったのですが、事業計画や資金調達、プレゼンまで全て自分で行うことで後継者としての自覚や覚悟も芽生え、考え方も大きく変わりました。
「荒木さん家のブリ」を掲げたワケ。
どれだけ大変な思いをして、他所より質の良い飼料を使っても、問屋が入れば全国の相場と一緒…。高知の問屋が入れば「高知県産ブリ」、愛媛の問屋が入れば別の名称に…、問屋が入る毎に全部名前が変わっていく現状がありました。
だからこそ、「荒木さん家のブリ」という名前を掲げて、こだわりを持って育てたブリを自分たちの手で届けたい。という思いが強くあります。
「荒木さん家のブリ」のこだわり。
弊社では養殖から加工、販売まで一貫して行っているのですが、その全てにこだわりを持っています。
宿毛湾は黒潮と豊後水道が交わり、栄養豊富な松田川が流れ込む肥沃な海域。まさに日本有数の飼育環境です。尚且つ、恵まれた海域で大型いけすを使っています。潮通しの環境が良く、水深50mの海で頻繁に餌をあげられるので成長が早く、ゴンゴン泳ぐので身も引き締まっています。
餌はカタクチイワシなどの良質な魚粉にきびしぼりを配合したオリジナル飼料を使用。この飼料を用いることでブリ本来の旨味成分が増し、日持ちも良くなります。
加工場では、マイナス30度のアルコールブライン凍結機を使用。通常の冷凍庫が凍結されるまでに約2時間かかるところを、アルコールブライン凍結を用いることで約10分で瞬間凍結することができます。魚の細胞が壊れる前に凍結することで、解凍後も生の魚と変わらない鮮度を保つことができます。
すべて一貫生産体制だからこそ、水揚げした当日に加工、出荷できることも強みです。
思うように売れない現実。
起業後は、僕が当初思い描いていたようにはいきませんでした。こだわり持って育てた「荒木さん家のブリ」を三枚に下ろしたり、藁焼きタタキにしたら売れると思っていたのですが、販売がすごく難しかった。
ブリの場合、競合他社が多いことも要因としてありました。近くの愛媛はもちろん、九州は特に高知県よりも生産量が多い。そこでどう差別化するのか? 価格を言われると大手には敵いません。「なんでここのブリはそんな高いの?」と値段に納得していただけない場合も多く、売ることの難しさを痛感しました。なかなか販路を広げられない。やってみて気づくことが多くありました。
その後は、様々な展示会に出展し、徐々に販路が広がりはじめました。顔の見える商品を好んでくれるお客さんや「高いけれど、これだけこだわり持っているなら分かる!」など、しっかりと品質を見てくれる取引先が見つかってきたのです。
永く愛される
ブランドブリを目指して。
今後は照り焼きやブリユッケなどの新商品開発にも挑戦していきたいと考えています。というのも、ブリの骨がちょっと曲がっただけでB品扱いになり、A品として出荷できないブリも少なくありません。B品になった途端、A品の半値以下。ちゃんとした商品なのにB品と言われるブリを、加工品として付加価値を高めた商品にしていきたいという思いです。
「荒木さん家のブリ」として名前を出しているからには、納得のいく魚を作りたい。食べてくれた人に喜んでもらいたい。という思いがより強くなりました。
今までは問屋に卸して終わりでしたが、直接届けられるからこそ、もっとお客さんとつながりを持ちたい。「荒木さん家のブリ」のファンを増やしていきたいと考えています。これからもお客さんに永く愛されるよう「荒木さん家のブリ」を大切に育てていきます。
追記:令和3年9月26日、大好きな父(荒木章政)が天国へと旅立ちました。父は厳しくもあり、豪快さもあり、そして優しい人でした。
責任感のある仕事人間でしたので、体がきつくなっていく中でも残された時間の中で精一杯の事をして最後まで仕事に対する心構えを教えてくれました。本当に尊敬できる父でした。ここまで父が大きくしてくれた事業(荒木水産株式会社)を、これから守り続けていく事が父への恩返しだと思っております。
まだまだ未熟な私ではありますが、皆様方には今後とも父 章政の生前と変わらぬお付き合いの程お願い申し上げます。